PC-8801は1981年9月に名機PC-8001の上位機種として登場しました。
見た目の特徴は本体とキーボードが分離されたセパレートタイプになったこと、今では普通ですが、あの頃は飛びぬけてかっこ良かったです。
性能面ではPC-8001と比べてグラフィック機能が大幅に強化されました。またBASICは新規に作成されたN88-BASICを搭載すると同時にPC-8001のソフトもそのまま動作させるためにPC-8001のN-BASICも搭載しています。(PC-8001のソフトはほぼ100%動作可能、NEW ON 1コマンドでPC-8001モードに移行します)
PC-8801のグラフィック機能はPC-8001の160×100ドットから640×200ドットになりドットごとに8色の指定ができるようになりました。
さらに640×400ドット(モノクロ)の高解像度表示もサポートしていて40×25文字の漢字を表示することが可能になっていました。(制限付きでカラー指定可能、漢字ROMはオプション)
PC-8801のもう一つの特徴は拡張の容易さです。セパレート型のメリットのため拡張スロットが4つもありました、各種ボードをセットすることで機能強化も簡単に出来ます。(現在のパソコンと同じ感覚です)
また他のパソコンではオプション設定の多かったRS-232Cインターフェイス(最高9600BPS)、フロッピーディスクインターフェイス(5.25インチ)も標準で装備していました。この装備で定価22,8000円は妥当な設定だったと思います。
拡張ボードにはPC-6001と同じサウンド機能を拡張するPSGサウンドボードやグラフィック文字を自由に定義できるPCGボードなど、各社から発売されました。
ハードウェアを見ると、搭載メモリが184Kバイト(RAM64KB,ROM72KB,VRAM48KB)とPC-8001と比べて4倍以上も増強されています。
ところが、基本設計の部分でPC-8001との互換性を重視したため良くも悪くも2年前の設計を引きずっていました。
そのため同時期に発売された他社のマシンと比べると実行速度が遅く、さらに実装されたN88-BASICも遅かったのでスピードには不満の残るマシンになってしまいました。
Z80のメモリ空間は64KBが限界なのでPC-8801にはバンク切替、メモリウィンドウ(1KB)などの64KBの壁を超えるための機能が装備されていました。
また、スピードの問題は機械語(アセンブラ)でプログラムを作ることである程度解消することが出来ました。機械語でのプログラムはとても難解なのですが、多くの88ユーザーが機械語にチャレンジしていきました。
他のパソコンでも言えますがマシンの欠点が大きいほどユーザーの技術力は向上するようです。その点でもPC-8801は名機だったと思います?(三代目のPC-8801mkUSRの登場でスピードは向上します)
PC-8801はビジネス向けとして登場したマシンです。ホビー向けにはPC-6001があったのでPC-8801にサウンド機能などホビー向け機能は装備されませんでした。
しかし、多くのゲームが存在したPC-8001と互換性があったために、結局ホビーの分野でもPC-8801が主流となってしまいます。
PC-6001は新規のユーザーを獲得することには成功を収めますがホビーでの主役もPC-8801が担っていくことになります。(PC-8801mkUSRが登場してホビー向けの機能が大幅強化されます)
PC-8801はTK-80、PC-8001を送り出してきたNECマイクロコンピュータ販売部による開発です。その後、社内改編により8Bitパソコンは日本電気ホームエレクトロニクスが開発することになります。(日本電気ホームエレクトロニクスも2000年3月末日をもって社内改編により解散)
上の写真は、Intel8255互換のパラレルポートLSIを使用した自作の24ポートパラレル入出力ボード
PC-8801シリーズの魅力のひとつは、拡張スロットが標準装備だったために、
ユーザーが自作のボードを作成して機能の拡張を容易に行えたことです。
自作のための、ユニバーサルボードも販売されていました。
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PC-8801mk2はPC-8801の後継機として、1983年11月に発表に発表されました。
初代PC-8801からの変更点は、ディスクユニット(PC-80S31相当)の内蔵と漢字ROMの標準搭載です。
外見の特徴は、スロットが1つ減ったことと、機体のコンパクト化です(縦置き可能)
初代PC-8801から事実上の進化がなかったことでがっかりしたユーザーも多かったと思います。
この時期はビジネス向けマシンとしては既にPC-9801(1982年10月発表)がデビューしており
さらに、下位機種にはPC-8001mkU、PC-6001mkUが存在していたのでNECとしても、
各シリーズの住み分けを暗中模索していた時期かもしれません
PC-8801mkUには、ディスクドライブの台数により3タイプが存在しました。
価格はそれぞれ、model-30が275,000円(2機内蔵)、model-20が225,000円(1機内蔵)、model-10が168,000円(ドライブなし)です。
model-10、model-20でも後からディスクドライブを増設することが可能です、
増設するドライブにはサードパーティー製もありました(ただし色などが違う)
PC-8801mkUにディスクユニットを内蔵したことは、
SONYのプレイステーション2がDVDを採用してDVDの普及に弾みをつけたことと同じように、
多くのユーザーが記憶メディアにカセットテープを使用していた状況から、
高速で大容量を扱えるフロッピーディスクに移行する為のきっかけを作りました。
もちろん、PC-8801mkUの登場前からディスクユニットを内蔵したマシンは多数存在しましたが、
当時メジャーだったマシンにディスクユニットが搭載され、
ホビーユースのユーザーでも手の届きそうな価格設定がされたことは、嬉しい出来事でした。
この時期はまだパソコン文化を推進していたユーザーはホビーユースが中心だったと思います。
NECのPCシリーズのなかでディスクユニット内蔵で先行していたマシンにはPC-9801Fがありました、
しかしドライブ1機内蔵のPC-9801F1が328,000円だったので、
ちょっと価格設定が高めでした(性能を考えれば妥当な価格ですが)
PC-9801シリーズが主流になるのは、もうすこし後のことです。
PC-8801mk2に搭載された、ディスクドライブは5インチ2D(両面倍密度)ドライブです。
このドライブでは5インチフロッピーディスクの裏表で合計320Kバイトのデータを保存することができます。
(両面タイプのドライブなのでディスクを手動でひっくり返す必要はありません)
PC-8801mkUのデビューは時代のニーズには応えていたものの、
性能面の進化では地味に思われてしまっても仕方ありません、
しかし目立たない所で、ディスクユニット内蔵の恩恵がありました。
PC-8801mkUに内蔵されたディスクユニットはコントローラー部分を含めてPC-80S31と互換です。
PC-80S31はインテリジェントドライブと呼ばれ、
ほぼ独立したコンピュータと同じ構成になっていて、
ホスト側から完全に独立した動作が可能でした。
さらに、独自のプログラムを送信して実行させることも可能でした。
これは、PC-8801にPC-80S31を接続した場合でも実現できたことなんですが、
PC-8801mkU以降の88シリーズでは標準でデュアルCPU環境が利用出来るということになります。
ディスクユニット側のCPUはZ80A、ROM 2KB(0000〜07FF)、RAM 28KB(3FFF〜7FFF)という構成です。
ホスト側、ディスクユニット側ともに、Intelの80ファミリLSIである8255(パラレルI/Oインターフェース)を装備していて、
ハンドシェーク通信によりデーターの受け渡しを行います。
ディスクユニット側で行わせる処理としては時間のかかる浮動小数点計算や、
DOSによっては実行モジュールをディスクユニット側のメモリに展開して、
メインメモリーの節約に利用するなど使い方は様々、こういう事が好きな人には楽園です。
初代PC-8801からPC-8801mkUへの変更点はもうひとつサウンド機能の拡張がありました、
これはBEEP出力とは別に1Bitの矩形波を出力するポートの新設だったのですが。
これによって初代PC-8801より音質は向上しました。
ただし、出力周波数をプログラムにより生成するためCPUの処理に相当の負担をかけます。
BASICからはCMD SING命令で使用します。
初代PC-8801に同様のサウンド機能を持たせる拡張ボードも発売されました。
ライバル機種では専用のLSI(PSG AY-3-8910)を搭載し8オクターブ3重和音のサウンド出力が可能だったので、
せめて、MZ-80Kと同じタイマーIC(8253)によるサウンド出力ぐらいは採用してほしかったと思います。
写真のPC-8801mkUはPC-8801から乗り換えて、かなり長い間使っていた愛機です。
キーボードは使い込んだ為に磨り減っています。
(キートップは印刷ではなく文字の埋め込み式なので消えません)
途中、性能が大幅に向上したPC-8801mkUSRが出現するのですが(いわゆるSRショック)
アルバイトで貯めた資金をすべてPC-8801mkUにつぎ込んでいたので既にSRに乗り換える余力もなく、
結局SRに対抗するために改造に走りました。
CPUをZ80Bに載せ換えて6MHz化(4/6MHz可変)、FM音源ボードも自作して搭載しました。
この対抗心のお陰でいろいろな技術を身につけることが出来ました。
今思えば、SRに感謝しなければならないですね。